史話

古代ハワイの神話と伝説 第4回

ナープアオクアリィ

ストーリーの面白さはもとより、古代のハワイにあった信仰や世界観をうかがえるという意味でも、興味が尽きないハワイの神話や伝説の数々。そこに登場する個性豊かなキャラクターたちをご紹介しながら、ハワイ文化の魅力をお伝えします。

Kanaloa、そして「作られる神」

ハワイの神話でそれなりの存在感でもって語られながら、同じく四大神と呼ばれるKāne 、Kū、Lonoとはその立ち位置がかなり違うように思われるKanaloa。Kāne に付随するキャラクターであることも多く、Kanaloaそのものについての情報が少なかったりすることもあって、その輪郭をややとらえがたい神さまでもあります。

それでもKanaloaについて少なからず語られるところをたどってみると……まず、代表的なところでは、ハワイの創世神話『Kumulipo』で、神の領域である「pō」と人間の領域「ao」の境目のところに、女の性La’ila’iに対する男の性として登場するのが、神であるKāne、人間であるKi’i、そして、タコのKanaloaです。こうして海の生き物のイメージで語られることがあるKanaloaは、ときに漁師の守り神とされることもありますが、彼が登場するほかの伝説をみると、その領域が海に限定されるものではないことがわかります。たとえば、天地創造的な内容が語られる『Kumu-honua』の叙事詩のなかで、Kanaloaは大地が天から分かれた後に登場し、神々から吐き出された精霊たちのリーダーとなって、死者が暮らす地下の世界「Milu」に追いやられたとされます。さながら地獄をイメージさせるMiluは、地上に対する異界という意味では地下の暗闇であり、Kanaloaのもうひとつの領域、陽の光が届かない「深海」のイメージにも近いかもしれません。

こんなふうに、タコにしてもMiluにしてもかなりミステリアスで、現実との接点を見い出しにくいKanaloa伝説ですが、比較的わかりやすいところでは、善と悪の対立をKāneとKanaloaの逸話として語るものがあります。そのなかで、ひとの姿で現れるKāneに対して、Kanaloaはなぜか石だったりするのですが、この事実に腹を立てたKanaloaは、人間の妻をそそのかしたり、はじまりの夫婦を神々が彼らに与えた場所から追い出したりと、かなり乱暴な神として登場します。石(命を持たない存在?)にされるなんて、Kanaloaがあばれたくなるのも当然ではないかと思われますが、そのこころは善と悪を対比するところにあると考えると、なんとなく腑に落ちるストーリー展開ではあります。

ところで、実際のところ、古代のハワイのひとびとにとってKanaloaとはどんな存在だったのかというと、日々の生活に根ざしたところにあったその信仰は、かなり現実的かつ実践にかかわる性格を持っていたようです。たとえば、海産物といった海の恵みはKanaloa、農業や狩猟にかかわる大地の恵みはKāneがもたらすという役割分担は、ハワイだけでなく、ポリネシアの島々に広くみられる信仰のありかた。遠くKahikiの土地1)から海をわたり、最初にハワイの島々にやってきたのがKāneとKanaloaであるとする言い伝えでは、さまざまな作物を新天地に持ち込んで育てたのが彼らであり、生活のための水を求めて旅したのもこの二人だったとされます。興味深いのは、泉を探しながら「ここを掘ってみよう!」と促すのがKanaloaの役割で、実際に掘るのはKāneだったりするところ。善きものを際立たせるための悪、あるいは表を語るための裏がKanaloaであったように、水を求める伝説においても、Kāneの補完的な役割を担うKanaloaには、なんとも定義しがたい謎めいたところがあるように感じられます。

もっとも、そんなKanaloaの性格以上に不思議なのは、健康を願い、自然の実りに感謝するといった生活のあらゆる場面でひとびとの思いを受け止めるに至ったKāneとKanaloaが、世界のそこかしこに、そこで祈るひとびとの数だけ存在すると考えられていたらしいこと。しかも、この「神の複数性」は、KāneとKanaloaに限られたことではなく、ハワイの神々に広くみられるものだったりするんですね2)。突拍子もない発想のようですが、いろんな場所で多くの人が祈り、しかもてんでバラバラなことを願っているという状況で、神さまがひとりしかいなかったらまず対応できないんじゃないか!?と考えるのは、思いのほか道理にかなっています。というわけで、どこで、なにを祈るのかにあわせて人間によって作られ、結果的に実用的な性格を持っているのがハワイの神々。一方、唯一絶対の神が、自分自身の似姿を作ったのが人間であると考えるのがキリスト教。どちらの神がよりすぐれているか?という問題ではないのですが、ハワイの激動の時代がキリスト教化の歴史とともにあったことを思いながら、両者の間にあるこの途方もない隔たりが、古代のハワイのひとびとの世界観を考えるための、重要な手がかりになるのではないかという気がしてなりません。

注釈

  1. Kahikiは現在のタヒチのことでもあるといわれ、ハワイのネイティブの祖先が、そのあたりからハワイにわたってきたのではないかとされている場所。文脈によっては「外国」という意味でも用いられるハワイ語。
  2. 期待されるところにあわせて増殖するというハワイの神の性格は、たとえばそれぞれの役割によって別の名前で呼ばれるKāneの存在に表れていたりします。空間的なところでは「Kane-hoa-lani」(天)、「Kane-lu-honua」(大地)、「Kane-haku-o」(山)、「Kane-huli-koa」(海)。石に宿るのは「Kane-pohaku」。日常生活にかかわる身近なところでは、「Kane-iloko-hale」(家)、「Kane-moe-lehu」(火を使う場所)、「Kane-wai-ola」(飲み水)、「Kane-hohoio」(家などの入り口、敷居)。

参考文献

  1. Beckwith M: Hawaiian mythology. Honolulu, University of Hawaii Press, 1970, pp60-66
  2. Kanahele GS: Ku kanaka stand tall-a search for Hawaiian values. Honolulu, University of Hawaii Press, 1993, pp70-76
  3. Malo D: Hawaiian antiquities-mo’olelo Hawai’i. Honolulu, Bishop Museum Press, 1951, p83

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